朝倉家ゆかりの地、自然あふれる一乗谷へ旅行した感想

2021年1月23日

こんにちは、義人です。

今回は、2020年の夏に訪れた福井県は一乗谷(いちじょうだに)についてのお話です。

 

なぜこんな所に行ったかと言うと、人混みを避けようと考えた結果です。
名の知れた観光名所は、なんやかんやで人が多そうだったので・・・。

一乗谷ってどんなとこ?

旅の記録にうつる前に、まずは一乗谷とはどんな所か?について、
軽くお話しておこうと思います。

どこにあるのか

一乗谷は福井県のやや内陸に入った所にあり、、
ちょうど山間部の入り口に位置しています。

下のマップでもちょうど山の入り口なのがわかると思います。

一乗谷駅の周辺は田んぼに囲まれていてすごくのどかな雰囲気。
また、川が近くを流れていることもあり、
山と山の間をぬける風が涼しくて気持ちよかったです。

意外だったのが、僕以外にも数名(4~5人ほど)の人が一緒に電車を降りたこと。
住宅などが目につく1駅2駅前では降りる人がいなかったので、驚きました。

何があるのか

一乗谷と聞くと、戦国大名の朝倉家がまず思い浮かぶ人が多いと思います。
越前の名門大名家として名を馳せた朝倉家ですが、
信長率いる織田家の勢いの前にあえなく敗れてしまった大名家です。

 

一乗谷には、そんな朝倉家の人達が拠点とした一乗谷城とその城下町の名残があり、
一乗谷朝倉氏遺跡として保存されています。

当初は朝倉家の史跡よりも、駅から南に向かった所にある、
「一乗谷ホタルの里」という場所に惹かれて訪れる事にしました。
(携帯のマップにランドマークとして載っていた)
Googleマップにはホタル飼育場となっています。

 

しかし、派手さを求めていた訳ではないのですが、
ランドマークというには、あまりにも民家の中に溶け込んでいて、
すぐに見終えてしまったので、なら近くにある朝倉家の史跡も見ていこう
と思い立ち、訪れた次第です。

一乗谷探訪記

ここからは、足羽川に注ぐ支流(?)に沿って、
一乗谷城跡に向かって歩いた際の記録です。

また残念ながら、途中で雨に降られてしまい、
雨宿りしたため、帰りの電車の時間の都合で、
城跡まではたどり着くことが出来ませんでした。

病気の流行が収まったらリベンジしたいです。

JR一乗谷

まずは、先ほども紹介しましたが、JRの一乗谷駅です。
こちらは福井駅方面になります。

 

路線名は越美北線といい、福井駅から九頭竜湖駅までを結ぶ路線で
全線に渡って単線のローカル線です。

 

個人的にローカル線の駅の魅力の一つに、駅と周囲との境界が曖昧なところがあると思います。

 

人工物の少ない所で、存在感を主張しない無人駅の小さな待合室と、
鉄柵などで仕切られていない線路。

 

人口が少ないのでそうなるのは当然と言えばそうなのですが、
特有の開放感がそこにあると僕は思います。

 

都会の駅だと、ホームの先端に座って線路の先を眺めながら
弁当を食べたり出来ないじゃないですか。

 

田舎だと電車の本数も少なくて、
安全管理の責任が多少個人に委ねられているからこそ可能な事だと思います。

 

散策も良いですが、普段とは違う所で腰を落ち着けて一息つくのもオススメですよ。

朝倉家の影を追う

さて、ここからは一乗谷に残る朝倉家の遺跡を巡っていきます。

もう一度言っておきますが、
途中で雨に降られたので、駅から遠い一乗谷城跡などには行けていませんので
写真などはないです。

遺跡の案内図。左下の川から右上の方向に向かって歩いて行きます。

 

下城戸

朝倉氏遺跡の入り口すぐにあるのが、下城戸(しもきど)です。
現地にある下城戸の解説です。

以下写真内の文章より一部抜粋

 東西の山が迫り、幅が役80mと最も狭まった谷の入り口に設けられた重要な防衛施設がこの下城戸です。この1.7km上流に設けあれた上城戸と共に城下町一乗谷の中心となる城戸ノ内を区画しています。
 この城戸は、基本的には幅10m・深さ約3mの濠と幅約15m・高さ4.5mの土塁、そして3.6m離れて道路をさえぎるように食い違いに配置された同様の土塁によって構成されています。

下城戸の入り口には大きな石が積まれていて、道が90°に折れ曲がっていて、
やや見通しがききにくい作りになっています。

 

現地にある説明では土塁と土塁の間には3.6mの距離があると書かれていましたが、
3.6mは尺貫法という距離を表す単位で、2間(けん)に相当する長さで、
当時としてはキリの良い距離であった事がうかがえます。

朝倉景鏡館跡

先ほどの下城戸からさらに上流に進んだ所に、
朝倉景鏡(あさくら かげあきら)館跡があります。

さっきの下城戸から道なりに歩いて5~10分ほどの所にあります。

以下、写真内の文章より一部抜粋

当地は「一乗谷古式絵図」によれば、朝倉式部大輔景鏡の館があったところと推定されています。景鏡は朝倉氏最後の城主義景の従兄弟にあたり

朝倉一族の中でも特に地位が高く、大野郡司も勤めていました。

発掘調査では、礎石建物、土塁、濠等が検出されました。遺物では地鎮具が発掘されています。

芝生が広がっていて、晴れていると青空に映えそうな所でした。
訪れた時にはすでにポツリポツリと雨が降ってきていたので、さっと眺めるだけでほぼスルー・・・。

平面復原地区

さて、景鏡館跡からさらに川に沿って上流に向かっていくと、
平面復原地区が見えてきます。

ここでは、砂利道によって区画された当時の城下町の跡があります。
GoogleMapで見るとわかりやすいと思います。
一般の道路から山側に一段下がった場所にあります。

 

ここにつく頃にはしっかりと雨が降り出し、
近くに屋根のあるところがなかったため、一番葉の茂った木の下で雨宿りする事になり、
とても写真どころではなかったです。

 

そんな訳で少し小ぶりになった頃を見計らい、
急いで駅まで引き返したのでした。

こぼれ話

朝倉家関連ではありませんが、
一乗谷の周辺には、西山光照寺跡などの史跡もあるので、
立ち寄ってみては以下がでしょうか。

また、道中に橋が架かっていたので、
緑あふれる風景を撮ってみました。

まだまだ写真は下手ですが、
晴れていたらもっと綺麗に映ったんじゃないかと思います。

1枚目の写真の階段から、川のそばへ降りることが出来ます。
なかなかにひんやりする水温でした。

終わりに

といったところで、今回の旅行記は終わりです。
その場での思いつきながら、
新しい知識をたくさん学ぶ事が出来たと思います。

 

惜しむらくは天気ですね。
道中はアスファルトで舗装された道なのですが、
史跡は当時の面影を残すため砂利道になっており、
雨が降ると、足下が汚れやすくて難儀しました。

 

あと、緑が多くて、普段パソコンばっかり見ている僕には
良い疲労回復になりました。笑

 

今回は文字ばっかりになったので、
次回はもう少し周囲の写真を多く撮るように心がけます。

それでは!